オーナーの独り言っす☆


by shochubar-den

感受性?

小学校に入ってから、宿題として音読に励む、最近の児童たち。
うちの息子っちも、その一人でございます。

教科書を読むのに飽き、九九にも飽き、
音読は何でもいいらしいのですが、長いストーリーのものを継続して
毎日聞いてあげる忍耐と体力と余裕のないワタクス。

そこで、音読本なるものを購入してみました。
いい加減な母でして、内容見ないで、これ読めば?よさそうジャン的に息子っちへパス。
そして、それを毎日、適当に適度に読んでいた彼。

f0105015_0315627.jpgそれが、先日、何やら、音読している声がおかしい・・。「どうした?やりたくないなら、やめればいいじゃん!」といい加減に言うと、「・・・・・」息子っち、沈黙。
「だから、自分がやりたくないならやらない方がいいじゃん!」とむきぃ~と言うと、「だって・・・あのね、僕ね・・・。」と言葉に詰まっている。

「?」ま、まさか・・・

「感動したの?」
「うん。」

f0105015_0322738.jpgでもさ、ちみが読んでる本日の文は、

どっからわいて出てきたのか分からない「論語」の一説なんですけど・・・。

一体どうして、なんで?どこが?と頭の中でグルグルするもんで、彼に聞いてみました。すると、なんとなく、ここが(朋有り、遠方より来たる、亦た楽しからずや。)読んだら、感動したの。だと・・・。

ならば、貸してみろっ!私も読んでみっから!っと、論語の一説音読3回大きな声で、本気で読みました。感動はしませんでしたが、本気で一生懸命読んだら、何かが胸の中で、
じんとしましたデス。なんて言うんでしょうか・・・忘れていた感じ、感覚、気持ち?がちょっと触れたような、そんな感じでした。自分が児童だった頃なんだろうか?

どうせ、わかるわけないし、読めないと勝手に思い込んで彼の音読を聞いていたワタクス。
分かるとか分からないとか関係なく、何かに感動し、触れられるってさ、言葉なしでええやん!ってことを改めて、教えてもらいました。いっつも、ありがとう~

参考までに、(息子っちの音読ちゃんからの適度に抜粋)
論語 孔子  学びて時に之を習う

子曰く、学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや。
朋有り、遠方より来たる、亦た楽しからずや。
人知らずしてうらみず、亦た君子ならずや。

(先生=孔子が言われた。学問をして適当なときに復習をする、なんとうれしいことではないか。同じ学問を志す友が、遠くから訪ねてきてくれる、なんと楽しいことではないか。他人が自分を認めないからといって不平不満に思わない、なんと徳の高い人間ではないか、と。)


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by shochubar-den | 2008-03-17 00:00 | 子供たち